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現代アートについて
アートって何?って言う人は多い。
わたしだってこうですって言葉では言えない。
でも、わたしは何人かの人からアーティストと呼ばれているので、
『自分のやっていることはこういうことだ。』って、話す必要が出てきた。
だけど作品を創るとき実際にわかりやすくしようとすると変なものができてしまう。
わたしの絵を見て癒されると感じる人がいる。
わたしが絵を描く行為は実は自分を癒していたんです。
それでその絵を見た人が癒される。
なんだか不思議です。
もしかしたらそういうことがアートなのかな?
掘り下げて考えてみる時期にきているように思う。
ここでリアルに何をどう思ってこういうことをしているのかを書きます。
7月12日からの個展に向けて、少しずつ書きます。
今日のテーマは
【天上天下唯我独尊】という言葉
かなりの人が誤解しているように思う。
お釈迦様の言葉として伝えられている仏典からの言葉なのだろうけど
簡単に解釈してはいけないと思う。
哲学という学問の分野で扱われたほうが的確かもしれないなあ。
宗教として解釈すると、ある時期、政治的に広められたりしているから正確の伝わっていない気がする。
小さい頃から自分とは何か?という疑問が体中グルグルしていて、
それを知りたいためにいろんなことをやってきたのかとも思う。
本を読むのも、山に登るのも、海にもぐるのも。
絵を描くのも、物語を作るのも。
絵というものを描くことは単なる訓練で、誰でもその気になればうまくなります。
わたしだけが特別そういう才能があるわけじゃないです。
その辺ははっきりしておかないとうやむやになります。
今日はここまでにしておきます。
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身近にいる子供たちと接すると、みんな天才だと思う。
このまま誰の垢も付けず大きくなってほしいと思う。
ある人がミユキのところに小学1年生の男の子を連れてやってきた。
人の顔を描かせてほしいということだった。
断ったけれどどうしてもと頼まれて週1回めんどうをみることになった。
ミユキはその男の子と友だちになっていっしょに遊んだ。
そのうちいつまでたっても絵をもってこないことに業を煮やしてお母さんが怒ってしまった。
そしてその子を連れて母国の中国に帰ってしまった。
残念なことだ。
わたしは子供の頃、絵なんてろくに描けなかった。
字すらきちんと書けなかった。
ただマンガが好きで簡単そうな絵をマネして描いてはみたけどヘタっぴーだった。
前回も言ったけどもう一度はっきりと言います。
わたしに絵を描く才能なんてなかった。
逆に言ったら誰にでも絵を描く才能がある。
花を花らしく描くのなんて簡単なことなのだ。
絵なんて得意じゃないミユキがが大きくなって訓練してそれらしく描けるようになった。
それを聴いたらみんなな~んだって安心するでしょう。
好きだったら努力する。
すぐに芽は出ないかもしれないけど努力すれば出来るようになる。
ウソじゃなく本当のことだ。
特別な才能なんて言ってる画伯がいたら偽者だ。
なぜなら、その画伯は自信が無いから、自分の今の地位を脅かされたくないから、そういうことを言って立場を守っているだけにすぎないのだから。
人間は変わっていく。世界も変わっていく。
昨日すばらしい絵を描いたからといって明日また描けるわけじゃない。
すばらしいアートというのは、その時代の病を受け取って昇華させる力をもったものなのだから。
だれがやっても出来るかもしれないことなんですよね。
この時代の苦しみや病の中で自分を癒そうとして表現方法を探して七転八倒しているのがアーティストというわけだから。
そして、うまく表現できたなら、それには普遍性というものが備わって後世に残る。
アートの世界にも歴史があって時代と共に変化し続けている。
次はアートの歴史のことを書こうかな。
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絵とか歌とか詩とかっていうのは、
芸術と呼ばれている。
芸術=アート
人はいつからアートをはじめたんだろう?
アートするのは必然だったのかな。
生きること=アート
もしかしたら人間始まる前からアートはあったんじゃない?
だってさ自然と空間があれば色を塗りたくなるし、
音が出るものを叩いたりこすったりしてみるし。
人間が始まる前にも生物はいただろうからさ。
人間はどんどん先に進んでいるようだけど、
根源的なものに向かっているんじゃないかなあ。
よくそんなことを思う。
日本の縄文時代ってすごーく興味がある。
土の中に眠っていた土器などをみるとステキだなーと思う。
その中に込められてる情報に興味がある。
学校でおおまかに習っているようなことは面白くないからここでは書きません。
次は20世紀に、現代に飛んじゃうつもり。
わたしはイタリアルネッサンスとか中世ヨーロッパが好きじゃないんで書けないってのが本音です。
なんでかっていうと、アートするひとたちがすごく生きにくかったんじゃないかと思うから。
自由が制約されていた時代なんじゃないかと。
自由を愛するミユキには受け入れられないことなのでね。
恋愛なんかも自由を束縛するからイヤなんですよね。
異性は好きだけど。あは。
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現代アート
よくわからない世界です。
やってる本人たちが説明できないからどうしようもない。
観て頂いて感じてもらえればなんて調子のいいこと言ってるんですよ。
モダニズム (modernism)
ダダイズム→1910年代半ばに起った芸術運動。
ヨーロッパのいくつかの地方やニューヨークが中心に同時に起った。
シュルレアリスム(フランス語: Surrealisme, スュレアリスム)→1920年ぐらい「過剰なまでに現実」超現実主義
モダニズム(Modernism)
ポストモダニズム(Postmodernism)
いろんなismがあるもんだ
ネオダダ→1960年代前後
ポップアート→1950
コンテンポラリーアート(contemporary art)
と、こんな感じの流れ。
入り組んでいるので解かりにくいですね。
わたしがやっていることはコンテンポラリーアートってことになるらしい。
現代に生きてるから必然的に。
前回「目に見えぬ者たち」というテーマで個展をやった。
関わってくれた人たちに「人間以外の生き物ならどんな生き物になりたいですか?」と質問しまくって、出てきた生き物を総動員させた。
そんな訳でギャラリーの人が【モノノケコンテンポラリーアート】って名づけてくれた。
この時は不思議なことがたくさん起きた。
撮った写真にいっぱい丸いものが写ったり、
展示の中で音楽会をすることになっていたんだけど、出演者が病気や怪我で出来なくなったり。
窮地に立たされる経験もさせられた。
この時からかなり肝がすわったというかいろんなことに動じないようになった。
一連の試みはインスタレーション(Installation art)と呼ばれている。1970年代に一般的になったらしい。
場所や空間全体を作品として体験させる芸術。
お客様が作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」する。
だからはじめて観にいらした人はビックリしてしまいます。
これはいったいなんなの?!って。
今日はここまでにしておきます。
続きは次回。
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そもそもアートって何?!
うすぼんやりとこんな感じって思ってたけど、
真面目に時系列を含めて検証してみると今までより深いところにいけるんじゃないかしら。
そうすることによって、自分のやっていることに裏づけができて深く突っ込んでいけるだろう。
そして、できればたくさんの人に馴染んでいただきたい。
アートを自分のものにして楽しんでほしい。
だってほんとに楽しいから・・・
他の人とも共有したい。
今度の個展ではそーゆーことを意識してやりますよ。
わたしといっしょにバカやりたい人よっといで~
ミユキはアレクサンダー・カルダーというアーティストが大好きだ
メトロポリタンミュージアムのコンテンポラリーアートのブースに、カルダーおじさんの赤いモビールが天井から吊り下がっていたのをみつけた時はもう小躍りして喜んだ。
その時誰もいなかったから本当に踊ったんですよ~はずかしながら!
”憧れのモビールが~~~~っ!”て感じ
この人の楽しいところは自分が芸術家っていう気がないところ。
船のボイラーマンやったり、ペンキ職人として船の乗組員になって、アメリカからフランスに行って、ハリガネでサーカス人形作って動かして人に見せて遊んだり、抽象的なものを作って動かしたりして遊んだ人。
一生楽しんだんじゃないかな。
ふざけたおじさんだ。
アレクサンダー・カルダー(Alexander Calder、1898年7月22日 - 1976年11月11日)
現代アートの旗手!!!
もうミユキはこーゆー生き方しかないって思う。
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アートは生きる事だれかに教わることじゃない。
お偉い学者さんが書物に書いていることより
現実に現代に生きてメッセージを表現している人たちの感覚の方をわたしは信じるし、正確に心に沁み込む。
誰かの解釈なんて無用の長物。
ヒップホップの世界なんかは今を的確に表現していると思う。
ミユキ一押しのアーティスト、ラッパーのANARCHYもきっと知ったんですね。
詩の中にあることばに滲み出ている。
現実
待ったなしの一生にだけ起る奇跡!
望んだ訳じゃない、
背を向けたら先は無い!
終わらない・・・とラッパーANARCHYは言う。
生まれてこのかたあーしろこーしろって言われたら
その反対のことをやってきた。
保育園の先生、お名前忘れたけど、ムリに自分の名前を書かせなかったことをありがたく思う。
折り紙を折ったんだけど、名前を書けない人は絵でもいい、三角でもなんでもわかればいいと言ってくれた。
ちなみにわたしは△を描いた。しかし△を描いた人が3人いてだれがどれかわからなくなった・・・
小学校でも1・2年の時は担任が勝手に話してることを理解しただけ。
3年から上にいくにしたがって先生はいらなかった。
自分で勝手に本を読んだり疑問を解決したりしていた。
今思うと小学1・2年の担任は重要な人だった。
小学1・2年の担任だった広瀬先生、わたしが空想に耽っていようが窓の外を眺めていようが、ほっといてくれて、いいとこだけ褒めてくれてありがとう。
好きににさせていてくれたことが、どれだけありがたかったか。
今わたしが生きているのはあなたのお陰です。大げさなようだけど、本当です。
高学年の担任なんてクソだ。
ロリコン野郎!!!
中学高校は同級生や先輩後輩いろんなやつと知り合ってお互い切磋琢磨させてもらったことを思うとみんな師匠。
絵の師匠は今村公子画伯。ナマモノの見方を徹底的に教えてくれた。
機織はなんといっても六日町のおばさんたちだな。
あの人たちに教え込まれた。
羽交い絞めみたいにされて、抵抗できなかった。
妙に素直になれたな。
あの人たちは最強だ。
まんがの師匠は森田拳次さん。
先生って言うと【先に毛が生えて先に抜ける人】みたいに感じるらしく言われたくないらしいけど。
わたしは思いついたらなんでもやる。
自分でやる。
友だちなんていない。
ライバルならいっぱいいる。
師匠もいる。
誰とは言わないけどね。
これからもわたしはどんどん変わっていくしいろんなことをやっていくけど、何も無い人と捉えてくれていい。
こういう人と思われたくないし決めてほしくない。
自分勝手なイメージを持たれるのが一番ツライかな
なにしろミユキはウソツキだから。
がんじがらめが大嫌い。
男についてもそうだ。
わたしをめぐって殺し合いをしようが勝手にしてくれていいと思っていた。
(そう思っていただけでそんなことは起らなかったけどね。残念ながら・・・)
なにしろ自由を束縛しないでくれれば問題ナシ。
何人か同時に付き合ったりしてたけど、バレたら去っていった人もいた。
でも後悔もしないし悪いともおもわない。
まあ、今はそろそろ引退の年齢かもしれないけどね。(笑)
なにがなんでもやりたいことはやる!
絶対あきらめない!
最後までやり通すのがアートです。
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ピエト・モンドリアン (Piet Mondrian、本名ピーテル・コルネリス・モンドリアーン Pieter Cornelis Mondriaan 1872年3月7日 - 1944年2月1日)
カルダーおじさんが若い頃パリでこの人に出会ってびっくらこいたという。
かなーり影響を受けたそうだ。
モンドリアンという人はそーとー好き嫌いの激しい人で、バリバリの都会派だったようだ。
きっちりとした直線と塗りつぶした平面で構成された絵をみると頷けるけど。
この人のは度を超していたみたい。
キュビスムの作品に接して深い感銘を受け、どんどん追求していった。
視覚が中心のアートから知性(考え方)中心のアートに変化した。
ここが現代アートへの分岐点なんだと思う。
そこでアートの世界はぐ~~~んと広がった。
アーティストは人並みなところで納得してちゃダメなんだね。
突き抜ける必要がある。
普通ははつき抜けるようなことはイケナイことってされてるところがあるけど、アートは突き抜けなくちゃいけない。
それだけでもアートは自由だってわかる。
自由になりたい人はアートすればいい。
度を超した好き嫌いとか、人並みはずれて神経質に物を見るとか、自分の特徴を最大限に伸ばす努力をすればいい。むずかしくないでしょう。知性を磨くってそういうことだからさ。
ちなみに、わたしはザク切りのタマネギが大嫌い。
すごくぞんざいに思えるから。
小学校の給食の時間に拷問を受けたけど絶対に食べなかった。
まわりの人が度を超してわがままだって言うけど、そうじゃないっていつも悲しい気持ちでいっぱいになった。
自分の舌と視覚が許さなかっただけなのに。
子供はボキャブラリーが少ないから伝えることができない。
わかって貰えない子供たちに言いたいな。
【もうガマンしなくっていいよ。自分の「好き嫌いは個性」だって胸張って言い続ければアーティストだ!!!】
他人を傷つけちゃダメなのは言わなくたってわかってる。
立ちはだかる壁はたいていの場合自分自身で作り上げている。
多くの場合それはお母さんや学校の先生の顔色を読んで自粛してるんだよ。
聴いてくれてる?お母さんたち。
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現代アートは難解でよくわからないとおっしゃる方がいる。
でも、わたしから言わせればアートなんてわかったとかわからないとかで見るものではない。
それぞれの感性で感じられればそれでいいのではないかと。
平たくいっちゃうと好きか嫌いでいいんじゃないかしら。
なんとなく好き、とか
なんとなくいいかも、とか
そんなんでいいんじゃないでしょうか
権威でものを捉えるくせができているとどーしても捉われてしまうけど。
もっと単純にみてもいいですよね。
日本の片田舎で育ったわたしはレオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロとかは違和感があります。
遠い西洋のものだし。
イタリアルネッサンスとかがバックグラウンドにある西洋のアートは身近には感じられないのです。
わたしが個展をやるキッカケは祖母の死です。
それまでは、そういった活動を避けていました。めんどくさいから。
ただ、祖母が死んでこころにぽっかりと空洞ができたみたいに寂しくなって、なんなんだろうって考えるようになって。
いろいろなことを思い出したんです。
祖母の家で毎年やっていた年中行事のことを。
すべて祖母がとりしきっていたので、祖母が亡くなってからは何もなくなった。
お盆だとか夏祭り、えびす講、秋祭り、雪祭り、桃の節句、端午の節句。
そういうときの調度品やら食べ物が自分を構成している一部のような気がしてきた。
それで何かやらなくちゃって思い立ったわけです。
鎮魂のためだったかもしれない。
なので今も純粋に芸術活動とは言えないかもしれないんだけど。
現代アートっていう概念がそれをゆるしてくれているんじゃないでしょうか。
けっこう快くやらせていただいています。
わたしにとっては御神輿や仏壇などの装飾やお菓子の色や形なんかのほうが身近なアートに思える。
あと、その時の雰囲気、儀式的なしつらえが醸し出す空間の色とか匂いとか空気。
そういうものが日本のアートなんじゃないかと思います。
西洋のものとは、根本的に違う。
宗教と密接なのは東西同じなんだけど、何かが根本的に違う。
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評論、評価をする人を評論家という。
批評家もいる。
専門分野に深い理解を持っていて教養の高い人がすることなのだろう。
美術品を鑑定する人もいる
だけど、どうなんだろう!?
知識はそんなに大事なものなのだろうか?
だれかが丹精込めて何かをつくる。
ありとあらゆる努力をして。
愚鈍なまでに一生懸命。
そして出来上がったものがダメなものであるはずがない。
わたしの田舎では今、山菜が採れる季節だ。
熊笹の上に酢メシをのせて山菜や木の実を甘辛く煮たものと錦糸玉子と紅しょうがを彩りよくちらした笹寿司というおいしいものがある。
これは謙信寿司ともいわれているように、上杉謙信のためにこの地方の人が家にある粗末な材料で工夫を凝らして作った携帯食だったそうだ。
見た目も美しい上にとても美味。
謙信がこれを食して、村人の心づくしをたいそう喜んだというお話がいい伝えられている。
お母さんは家族の健康を願って心を込めてお味噌汁を作り
ご飯を炊き
それが不味いわけがない。
でもいいかげんな人もいる
心ここに非ずって人。
ハンパな事をする人。
絵描きだってそういう人はどっさりいる。
欠落しているものを埋める努力をして、一生懸命持てる力を出し切った実感が得られたとき、はじめて喜びがうまれる。
職業であろうとなかろうと。
ものを創る人はそういうものだ。
満たされていたらそんなことをやろうとも思わないだろう。
適当なところで良しとしているなら。
適当な満足感でいいなら。
それはそれでよいではないか。
愚痴や不満はやめたほうがいい。
好きなことがある人はうらやましいって。
これは、余裕なご発言ですね。
ミユキはよく言われます。
うんざりなの。
ミユキが何かに係わる時は納得できるまでやる。
適当なところでおわらせると後でひどく悔しい思いをする。
相手が人間ならなおさらだ。
ハンパには愛さないのね、じっくりと真綿で首を絞めるように、やんわりとどこまでも・・・。
怖い女ですよ。
関わらないほうが利口ですよ。だはは
なので作品に係わってください。(笑)
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アレクサンダー・カルダーは現代彫刻の道を開いた。といわれている
「<モビール>は何ものも<暗示>しない。それは本当に生きた動きをとらえ、それをかたちづくる。<モビール>には何の意味もなく、それ自体のほか一切を考えさせない。それがそこに<ある>。それがすべてだ。それぞれがぜったいのものだ。」byサルトル
<ピグ>はそこにある。・・・というか放置状態。
何かいいコスプレを着せてやりたいのだが。
自分で作っちゃだめ?!byミユキ
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アートの世界を探っていると他のものも見えてきたりする
たとえば女性と男性についても深く探ることもある。
わからないから放置してきたことのひとつだけれど。
女性は人間の生と死に近いところにいる。
現代作家の作品をみているとそれをひしひしと感じる
テーマをそこに置いている人は女性が多い。
アバカノビッチ (Magdalena Abakanowicz (1930- ) ポーランドの芸術家)もその中のひとり。
メトロポリタンミュージアムでアレクサンダー・カルダーと同じフロアーに展示されていてまたまたラッキーッ!!!
あの時のわたしはメッチャクチャにツイテいた。
そして隣の部屋にはジョージア・オキーフ
ウンッモゥッ!p(><)q
ちぢんでのびてくるくるまわってしまいました。
滞在先がメットのちかくだったので毎日行けたのだから。
しかしニューヨークはフランスのパリにかわって、しばらくの間アートのメッカだったらしいが、アートの神樣はもうそこにはいなかった。
1950年代の息吹だけがメットにあったけれど。
その時本当にガッカリしたのと同時に現代アートは日本にあると感じた。
とっとと日本に帰って次の行動を考えるべきだと。
不肖ミユキはいくつかの美術館やギャラリーのキュレーターにお会いして持って行った作品をみていただいたんですが、『これからの活動を報告してほしい。その上でスケジュールを考えましょう。』という反応だった。
いいのかわるいのか?判断はできなかったが、一瞬日本で活動したほうが楽しいと思った。
手放しで喜んでくれなかったことがとても悔しかったのもあるけど、それだけじゃなくここにもう一度くることは無いだろうと直感的に思ってしまった。
その後1度だけある美術館に個展のCDを送ったけれど、反応は無かった。
しかしNYに執着する気持ちはまるでない。
日本で、それもローカルにやりたい。
負け惜しみではなく心からそう思った。
今までの概念をひっくり返すのが現代アートなのだから。
日本から発信してもいいでしょう。
西洋的なものにかぶれていたのは過去のことにして。
アジアの片隅の日本で、
静かに地味に活動するつもり。
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大好きなアーティストのアレクサンダー・カルダーは最初エンジニアになろうとしていたらしい。
自伝を読んだわけではないんだけど、わたしが学生の頃古本屋でみつけた美術手帳っていう雑誌に書いてあった。
エンジニアの学校は出たけれど、どこも務まらずけっきょくフリーターになって船乗りになったりしたらしい。
わたしが高校から大学へ行こうとしたのはなぜかというと、両親がわたしの道を勝手に決めようとしたからだった。
それでここにいたらヤバイと思って、とっとと受験して京都の美術系短大に行った。
4年制の大学へは行かせてもらえなかった。(お金が無いからという理由)
とにかく家を出たかったのでどんな学校でもよかったんだけど、高校の担任が生活デザインというのがあるって教えてくれて、
「よしそれにしよう!」なんてかなり適当に決めた。
京都時代はほとんど遊びとバイトの日々だったので何もやっていないのといっしょ。味をしめてもっと勉強したいとかなんとか親をだまして東京の専門学校にも行った。その時はインテリアテキスタイルというものだった。それでも職業意識がまったくなく家につれもどされた。
家業(電気の配電盤を作る工場)を手伝っているうちに社長もいいなあなんて甘いことを考えている矢先に工場での作業中に鉄骨が倒れて下敷きになり気を失うという事故に遭った。ケガは無かったがその後父からお出入り禁止にされ、社長の夢は無くなった。
何か職に就かなくてはならなくなって、短大で機織がおもしろかったから織り子になろうとして六日町に行ったがずっとそれをやっているのもつまらんと思いやめた。
あとはできることといえばデザイン科を出ているからデザイナーかなということで今度は東京で働くことになった。
デザイン科を出たからデザイナーなんてホント甘かった。超過酷な仕事。朝から夜中まで働かされた。すぐ辞めたいと思ったが他にいくあてもなく、そのままずっと10年ほどやった。
思い出してみたんだけどやっぱりヘタレな女やなあ。
なんてアホなヤツ!やばい!落ち込みそう!!!
というわけで、今やっていることはなんとなくやってきたことの延長線上でやりたくてやっていることではない。
ただアートすることに関しては、
もーれつに意欲がでてきた
職業は?って聴かれたら、フリーターかな!?
アートは生きることだから、それでは食べられないからね。 つづく
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おさらい。
まずキュビスム(英:Cubism)。いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。そしていろんなismが出てきた。
でもピカソもブラックも、キュビスムから抽象に向かうことはなく、具象にとどまったんだって。(というか後戻りしたように思うんだけど。まあ、アーティストってヘタレが多いからな。)←独り言です気にしないで。
ヨーロッパ、アメリカの人は主義主張が好きだ。
日本人は派閥が好き。
わたしは両方とも好まないな。
そのアトの人たちは徐々に抽象へ向かっていく。
これはかなり勇気のいることだ。
なぜなら、一目見て何を描いているのかさっぱりわからないから。
これが、今の現代アートへの流れなのだろう。
モンドリアンの直線と面だけの絵はそこから一歩踏み出した感じがする。
自分の主義主張を表しているんだよわかんない!?って言ってるような絵だ。
Abstract Art(抽象絵画)
Abstoractって数学の言葉なんじゃないのかな。
ニューヨークではみんなバカの一つ覚えみたいにアブストラクト、アブストラクトつってマジな顔でひとくさりブッていたよ。
「ぐちゃぐちゃ描けばアブストラクトかよっていいたくなるような汚くて変なのが氾濫していましたよ。反吐がでそうになった。」←ここカット!ひとりごとだから気にしないで。
そのあとは画面だけじゃなくてそこからもはみだして物理学的概念みたいなのが出てきてもう何がなんだかわけがわからなくなってきている。個人的な心の中をいろんな形で表現している。
「こういう気持ちでこういうことをやっているんです。」っていう自分の考えを添えないとだれにも納得してもらえないようになっている。その人となりと作品とが一体になってきた。
もっと新しくなると
「こういうアート活動をしています。」という物体よりも精神性を追求しはじめている。
「世の中みんな波だらけ」なんつって波動方程式とかなんとかをいいはじめるのかなあ。
これは、先に進んでるってことですよね~。みんなの意識も変わってきているし。地球も宇宙のひとつだしな。
ってなわけで、アートは職業じゃなくて生き方とか死に方って言っていいんじゃないかとわたしは考えています。(まとめちゃダメかな。)
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河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年
京都にいるころ五条坂の寛次郎記念館によく遊びにいった。
ただ行って記念館の中で、寛次郎さんを想う。
想うだけで胸が熱くなってしまう。
まるで恋人に会いにきたみたいな気分になった。
わたしはこの人が好きで好きでたまらない。
今もまったく変わらず、自分でもおかしいのではないかと思うくらいだ。
京都に行ったら必ず立ち寄る。
この記念館はもともと寛次郎さんが住んでいた家でウラには登り窯があり、仕事場も兼ねていた。
ここに行って生前この椅子にすわって物思いに耽っていらしたであろう椅子にすわり、眺めたであろう庭を眺める。
陶工河井寛次郎はアレクサンダー・カルダーとは同世代ではないかと想う。
わたしはそのころのアーティストが好きみたい。
理屈ではないんですよね。
『私は木の中にいる、鉄や真鍮の中にもいる、
人の中にもいる。
一度も見た事のない私が沢山いる。
始終こんな私は出してくれとせがむ。
私はそれを掘り出し度い。出してやり度い。』 ~河井寛次郎~
詩を書き絵を描き、読み、書き、思う人。
日本にもismがあった
民芸運動というものだ。
そういう活動もした人
「棟方志功」を見出したひと。
数えあげたらきりがないほど仕事をした人です。
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展示方法によって空間自体を作品化することが美術の一手法として認識されはじめ、彫刻や絵画などから独立した・・・というものらしい。
中国や韓国では「装置芸術」「設置芸術」などと呼ばれることもあるが、日本では一般に「インスタレーション」の名称が用いられる。
かなり前からこういうことははじまっていて現在すごく盛んになっている。
今現代アートっていうとまずインスタレーションを思い浮かべます。
「一時的でしかも場所固有なので、そこに恒久設置された作品ではない限り会期後は消えうせることになる。また、売買は基本的に困難である。売買にあたっては、美術館などが作家に制作を依頼して制作費を払い恒久設置あるいは一時設置の方法をとるか、またはコレクターや美術館が詳細な設計図とともにパーツすべてを買い取り、再設置に当たっては作家が監修してその場所に合わせて展示方法を変えることなどの方法がとられる。作家や美術商がインスタレーション制作前に習作として描いたドローイングや試作模型、インスタレーション制作後の記録写真などを販売することもある。」
ここはWikipediaからの引用です。
価値があると判断されれば金銭が発生しますよね。さいしょからそれをあてにして作るわけではないのですが、作家にそれだけの力量があることが前提なのでしょう。
芸術作品っていうのは、思想哲学があったり、技術があったりということは大切ですし当たり前です。実際できあがりませんからね、そういうものが無かったら。
でもでも、それよりもっと大切なことは根源的なところにあると思うんです。
人を敬う気持ち。
自分が大切なのはそうなんですが、自分だけよければいいというものでは説得力がないんです。
何か行動を起こすとき自分の心に聴くことってないですか?
欲望だけの行動には何も宿ってくれない。
その場が汚れるんです。
作為的な造形物は美しくないと思うんです。
やはり美しいほうが気持ちがいいですよね。
それで一生懸命お掃除するんです。心の中を。
邪心を払って。まるで宗教みたいですね。
宗教ってそういうものかもしれないですよね。
訳わからないものにすがって拝んで頼むものではないです。
作品は意外と正直に心の中のものを表に出しますから。
わたしはインスタレーションというのは宗教的儀式をするための空間作りだと思っています。
新しい概念ではないですね。
人間の根源的な行動だと思います。
だから自分だけ作って喜ぶのではなく、その場を共有することが前提な作業じゃないかと思います。
様々な個性の人たちが集い場を共有しているうちに何かが生まれたりする
なんだかWEBの概念と似ていませんか!?
前向きな素直な気持ちを引き出させるような装置をつくりたいです。
今わたしが取り組んでいることです。
今度の個展ではそれをやります。
装置をつくるための材料を今つくっている最中。
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イタリア・ルネッサンス
レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci,本名Leonardo di ser Piero da Vinci 1452年4月15日 - 1519年5月2日) はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能の天才という異名で知られる。「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれている。
絵画、彫刻、建築、土木および種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。膨大な手稿(ノート)を残しており、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていた。wikipediaから
この頃日本ではどんなものを創っていたんだろう!?
仏像とかかな?
中国、韓国、インド、ロシアでは!?
今度調べてみることにする。
タイムマシンがあれば行ってこれるのになあ。
人間が電子のようになれば可能なんだって。
物体でいるかぎりムリですね。
日本の浮世絵
葛飾 北斎(葛飾 北齋 [1]、かつしか ほくさい。宝暦10年9月23日?〈1760年10月31日?〉 - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉は、日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。
代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。wikipediaから
浮世絵の場合は現代のイラストレーターとかデザイナーの感じですよね。
漫画はわたしも好きで描いています。
アイデア考えるのってメチャクチャ楽しい。
仕事になると苦しいね、きっと。
現代アート
ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian、本名ピーテル・コルネリス・モンドリアーン Pieter Cornelis Mondriaan 1872年3月7日 - 1944年2月1日)
モンドリアンさん以前のピカソとかブラックとかの現代アーティストはとばします。
個人的に好きじゃないんですよね、中途半端な感じがして。
ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe, 1887年11月15日 - 1986年3月6日)は、20世紀のアメリカの画家。夫は写真家のアルフレッド・スティーグリッツ。
河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日は、日本の陶芸家。
陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも優れた作品を残している。
やっぱりこの時代の人だったんですね寛次郎さん。
アレクサンダー・カルダー(Alexander Calder、1898年7月22日 - 1976年11月11日)
モビールの発明により彫刻作品に実際の「動き」を取り入れたことである。
イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、日本名:野口 勇、1904年11月17日 - 1988年12月30日)
フリーダ・カーロ(Frida Kahlo、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家
サイ・トゥオンブリーまたはサイ・トゥオンブリ(Cy Twombly、1928年4月25日 -)、アメリカ合衆国バージニア州出身の抽象表現主義の画家、彫刻家である。
抽象表現主義(ちゅうしょうひょうげんしゅぎ、Abstract expressionism)
↑ここにもなにやらむずかしそうなismがありますね~。
マグダレーナ・アバカノビッチ [Magdalena Abakanowicz] (1930- ) ポーランドの芸術家.
まだご存命の方が2名いらっしゃいます。
今も現代アートの時代なんですね。
イタリアからフランス、そのあとアメリカに・・・アートの流れは今度はどこに!!!
わたしの心をつかんだアーティスト全員に登場していただきました。
こんな風に年代別に並べたことがなかったので、すご~く勉強になりました。
みなさんはこの中で興味がある人がいましたか?
なんだか大雑把で申し訳ないです。
明日はこの忙しい時に歌舞伎に行きます。
これだけは、ぜったい行かないと後悔します。
江戸の物語のシュルレアリスムな世界にどっぷりと浸かってきますね。
帰ってきたら、浮世絵と役者のお話でもしましょうか。
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歌舞伎と浮世絵は切っても切れないものですが
最近は写真の技術が発達していて、チラシも写真です。
ちょっと残念な気がしますね。
浮世絵 (うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを描いている。
浮世絵の「色」
浮世絵版画に用いられたのは比較的安価な植物性、鉱物性の染料・顔料だったようです。
黒は墨。初期の墨1色で摺ったものは「墨摺絵」と呼ばれる。
白(胡粉)は蛤の殻(炭酸カルシウム)を砕いて作る。
赤色系では
紅:紅花 - 紅絵
朱:水銀
紅殼(弁柄):酸化第二鉄
丹(鉛丹):酸化鉛
黄色系では
黄:ウコン、海棠の木、雌黄の木
石黄(雄黄、生黄):硫化黄(硫化砒素)
青色系では
藍:藍、露草
などがあり、紫などの中間色はこれらの掛け合わせで表現した。その他、豪華さを出すために金銀や雲母粉が用いられた。無地背景に雲母粉を用いたものは「雲母摺(きらずり)」と呼ばれる。
幕末から明治にかけて、鮮やかな舶来顔料が使えるようになり、この時期の錦絵の特色ともなっている。
葛飾北斎は、かなり研究して使っていたようですね。
ヨーロッパでもフェルメールなんかは材料を工夫していたみたい。
絵描きさんはどこの国でも同じ。
いい絵を描く為ならなんでもやっちゃうところが。
藍:ベロリン藍(ベロ藍:プルシャンブルー) - 藍摺(あいずり)、冨嶽三十六景など
紫:ムラコ
桃色:ローダミン
赤:アニリン赤(洋紅) - 開化絵など
わたしは、浮世絵の色はあまり好きではありません。
なんというか、やぼったい気がします。
どうしてかな!?
自分が絵を描く時は主に植物や鉱物などの天然染料を使います。
浮世絵とはちがった染料です。
透明感があってぼかしがきれいにでるから。
絵の具は濁っていてきらいです。
和紙は内山紙を使っています。
この紙が一番使いやすいです。
安い紙ではないので描く時はすごく緊張しますが、
天然染料の場合あるていどやり直しがききますし、
失敗してもかえって味になったりして面白い。
とにかく、自由に筆を走らせることができるので気に入っています。
日本の文化を大事にしつつ、
あれこれ実験しながら描いていますが、失敗も多いですよ。
そういうのはとって置いてバックなどに貼り付けてつかったりします。
わたしはケチだしビンボウなので、
仕事でゴミはだしませんV(°∀°)b
最近PCのRBGカラーもWEB上でみるとキレイだなーと思います。
すごく可能性を感じています。
ゴミでないしね。(^-^)/
エコチックでしょ。
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春画(しゅんが)
現代においては、芸術作品(エロティカ)として社会的に高く評価されており、猥褻出版物としての扱いは受けていない。・・・そうだ。
線を引くのはむずかしそうだが。
絵ってエロくないとつまらないとは思う。
特に女を描く場合エロさがなければただの物体だから。
よくモデルさんを呼んでヌードデッサンをやりますが。
そういう時モデルはエロいとダメなのね。
今までエロい体の人に出会ったことないです。
キレイだけど味もそっけも無い体の人ばかり。(失礼)
ご本人もそーゆー体づくりに努力しているようだ。
描いてるうちに変な気分になっても困るもんね。
男と女がからんでるヤツは挑戦しないつもり。
別に理由はないけど。
女が半裸で動いてるのはよく描きますよ。
ふふん、エロいでしょって感じです。そういうの好きなんです。
今日こういうタイトルにしたのはアクセスがどうなるか見たかったため。
みんな好きじゃん。
「OLミユキさん」ていうブログには時々キワドイノを描いてるけど
まあ、かわいいものですよ。
毎日【乳首画像】っていうキーワードで来る人いるけどね。
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ランド・アート (land art)
岩、土、木、鉄などの「自然の素材」を用いて砂漠や平原などに作品を構築する美術のジャンル、またはその作品のこと。
ナスカの地上絵
ピラミッド
ストーン・サークル
古墳
日本庭園
などは過去になんらかの必要性があってつくられた造形。
規模がとても大きい
現代的な意味におけるランド・アートを構想した最初期の作家としては、イサム・ノグチの名が挙げられる。
彼はすでに1933年の段階で、古墳や古代遺跡、日本庭園などから着想を得て、「地球」を彫刻の素材とすることを提案していた。
彼の心の中に根源的なことへの衝動が芽生えたのだろうか。
ニューヨークのイサム・ノグチ美術館 (Noguchi Museum) には、「火星から見える彫刻」の模型(1947年)が残されている。
彼が1930年代から提案し続けた子供の遊び場となる人工の山、「プレイ・マウンテン」は彼の死後、札幌市のモエレ沼公園で実現している。
竜安寺 石庭
京都に住んでいるころ何度も遊びに行った。
そしていつも、なぜか物足りない感じがしていた。
行ってはいろんな角度から眺めるのだが、すごく不自然な気がしていた。
もしかしたら創られたときと景色がちがっているのではないかしらと思った。
だれかが動かしたとか・・・なんて思った。
お寺の人の説明と一致しないのだ。
最近になってあるマンガを読んでいてなるほどと思った。
この庭は、最初に創られたとき寺の周りには木も建物も何もなかったそうだ。
あの廊下に座ると広大な宇宙の広がりの中にいるような感じになったのではないかと想像する。
あれはまぎれもなく、インスタレーションだ!
日本の各地にある庭園はインスタレーションであったり、ランド・アートであったりする。
きっと何か意味のある造形なんですね。
アートはこれから新しさやインパクトを追求するものではないな。
根源的なものなんだな、とつくづく思う。
公園に砂場があるのも、だれかが根源的な衝動をわかっていたからなんじゃないだろうか。
最近、砂場が衛生上よろしくないということでなくなってきているらしいが・・・。
ネコのうんことかがしてあってキタナイんだって。
うんこがそんなにキタナイの!?
寺の門の周りに砂が敷き詰められ住職が一心に棒で模様を描いている。
それは意味のある行為なんだな。
このブログを書いていると、だんだんわかってくることがある。
こうして書くことが意味のあることに思えてくる。
アートっていうのは思索の結果で常識を超えていなくてはダメで、既存のものはもうやってはいけないんですよね。だからタブーはあってはならない。
だから時々嫌われているものを敢えて描いたりする。
昨日なんて【人間便器うんこ画像】っていうキーワードで「OLミユキさん」に来た人がいるけど、たしかにわたしはうんこ描きましたよ確かに携帯トイレを推奨しました!ただし人間が山に入るときはという前提があってのハナシでして。期待に副わなくてごめんなさいなのだ。
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Tea House
以前ニューヨークに行った時つくった画像。
染織作品を写真に撮ってもらって加工しました。
仮想インスタレーション。
お茶室は、インスタレーションだと思う。
インスタレーションって何?って思った人はここへ↑
亭主が自分の精神世界をいろんなアイテムを駆使して、客を招き茶を振舞う。
戦国の時代なら客によってはものすごい緊張した空間になったかもしれない。
生きるか死ぬかみたいな。
一般に浸透しているお稽古事としての茶道に関してはよくわからないけれど。
それはそれとして、アートとして創ったらどうなるかな!?
なんて考えながら遊んでみた。
空間として説得力を持たせるためには作品数がまだまだ足りないのですが、そのうち形になると思います。
海外の人は、キモノにしても茶室にしても、日本の文化が好きですね。
侍だとか。
実際向こうの人のジャポニズムやそれを売り物にした日本人は胡散臭いところがありますが・・・。
わたしは日本的なものがもともと好きなので、そういう文化の中にどっぷりと浸りながら近未来におもいを馳せています。
できればキモノで生活したいんだけど
まだ準備ができていない。
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2007年の個展
この時はかなりたくさんの絹糸を張り巡らせた。
会期の間中ひたすら糸を張っていて、まるで蚕になったみたいな気分。
すごくいい経験をさせていただきました。
この写真はフォトグラファーで作曲家でWEBデザイナーの安達伸幸さんが撮ってくれました。
わたしの作品なのに安達さんっぽい。
やっぱり作家さんなんだなあ。
しかし、感性のある人だな!すごくカッコよく撮れているなあ。
好きですこの写真!!!
この時はインスタレーションを強く意識して創りました。
茶席のつもりで季節の食材を用意して
抹茶を点てたり。
タイトルを「Tea House コンテンポラリー」ってしたら、
お客様が干菓子を手土産に持ってきてくださりちょっと感動しました。
安い駄菓子でお茶を濁そうとしていたので、ありがたかったなあ。
けっこう楽しんでもらえたみたいだったのでよかった。
この経験次に生かしたい。
この空間もなんとかしたいなあ!(#⌒∇⌒#)ゞ
お金をかけずにわたしらしい部屋を作ろうと思ってます。
いいアイデアあったら教えて(・ω・)/
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87年、ニューヨーク、マンハッタンのチェルシー地区にかつて工場だった4階建ての建物を建築家リチャード・グラックマンRichard Gluckman(1947― )が改装し、ディア・チェルシーを開設した。
作品は空間に合わせたインスタレーションであること、展示期間は9か月間という長期間であることを特徴としている。
2001年にわたしがニューヨークに行った時には、ほかの美術館やギャラリーとは一線を隔した感じの超現代的なアート空間でした。
主に映像作品が盛んに上映されていました。
壁が全部スクリーンになっていて、作品があまりに前衛的で観ていて苦しくなりましたが。
展示ブースでは展示の仕方がとても新しいと思った。
天井から吊るした四角い透明なアクリル板の中に絵や写真がはさんであって両側から観られるようになっていてずらっと並べて立体的に構成してあったり。
まるで、建物の構造の一部のように据えられた作品はいい感じだった。
最近日本でもみかけるけど、当時すごく新鮮だった。
チェルシー地区は昔、港から引かれた貨物鉄道の終点だったので倉庫がたくさん残っているということだ。
ニューヨークのマンハッタン、特にこのチェルシーやソーホーはバブルが急激に進みビンボウアーティストは地方に散って行ったそうです。
わたしなんかは、混沌とした中に行くのが好きなので、コムデギャルソンみたいな店がカッコよく営業しているのはあまり見たくなかった。
最先端はもう違うところにいってしまったか、アートの概念がまったく変わってしまったのか。
まるで活気を失ってしまった炭鉱の町みたいだった。
申し訳ないけど、アメリカはここまでだと思った。
ニューヨークに行って一番感動したのは、セントラルパークの中にあるメリーゴーランドだ。
アトで調べたら1950年代につくられたアンティークなのだそうだ。
やはりアメリカのアート全盛期は’50年代だったんだな。
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ディアセンターを開設したディア財団が、美術館ディア・ベーコンを新設した。
1974年設立以来、現代美術推進の先頭に立って来たディア。
60年代から現在に至るコレクションのショーケースとして、元ナビスコビスケットのパッケージ工場を改装28,000平方メートルの巨大なギャラリーに仕立て上げた人がいた。
作品個々の特徴やスケールに合わせてデザインされたスペース。
普通の美術館では有り得ない規模だ。
それだけきいても大変な額のお金がかかっているだろう。
しかも作家の生活費や制作費なども援助したというのだから昔の貴族のような人たちですね。
Dia Beacon
ディア・ビーコンのビーコンは地名。
マンハッタンのグランドセントラル駅からハドソン川にそって約1時間。
切実に行ってみたかったが、機会を逃してしまった。
ポストカードだけはチェルシーで購入した。
彫刻の内部を散策できるリチャード・サラの鉄鋼作品。
巨大な床穴の作品は、マイケル・ヘイザーの作品。
興味深々です。
半永久的な展示の、大胆なインスタレーションをこの目でみたかったのだが。
それに、アメリカの田舎へ一度は行ってみたい。
たぶんスケールが大きいんだろうな。
でもたぶん近じか行けると思う。
行けると思えば行けるものだ。
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歴史的事実といういい加減なもの
昨日今日と、個展のための雑用をこなしながら、
ネットや本で縄文時代の土器を鑑賞していた。
なぜかいつも惹きつけられてしまう。
なんとエキゾチックな形なんだろう。
模様をみていると何かを語っているように思える。
ロマンを感じる。
学校には歴史という授業がある。
でも、過去の誰も知らないことをもっともらしく事実として教えているところにウソがあると思う。
真実というものはその場にいなければわからないのだから。
わたしたちは残っている造形物からいろいろなことを推測するだけ。
ほとんどのことはナゾなのだ。
また残されたものから事実を知ることは膨大なデータのうちのほんの少しだ。
何が真実か?
といえば今実際に行動している自分しかないと思う。
じぶんが経験していることが真実のすべて。
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わたしの絵の師匠は今村公子という人です。
画家です。
彼女から様々な知恵をいただいた。
わたしは「OLミユキさん」というサイトに「老婆の森」という物語を書いている。
ここに「おまんさん」というキャラがでてくるのですが、
この人はある意味魔女なんです。
わたし自信もその気がありますが、まわりにいる女性たちの集合体のような感じです。
見目形のイメージはこの今村画伯なんです。
この老婆の森の物語は、最初わたしの姪たちに残そうと思って書いたのですが
だんだんにヒトコマまんがになってきてしまいました。
ハマるとことんやってしまうので、たぶんこのままヒトコマまんがを描き続けると思います。
今村公子という人は画家なんですが頭の中は学者かもしれません。
絵を描きながら自然科学のハナシやら哲学のハナシなんかを聞かせてくれました。
自身のまわりのことすべてが学問みたいに感じている人ですね。
料理も教わりました。
まあ、わたしも同じなんですが、社会的にはかなりドジな人間像です。
まぬけと言っても過言ではないですね。
そこがわたしたちの結びついているポイントだと勝手に理解しています。
絵に関しては徹底的に生き物の見方を伝授されたと思います。
かなり情熱的に教えてくださった。
時には反抗的になって、険悪になったりしましたが、
素直に感謝しています。
今村画伯はやはり魔女だなと感じたのは、
ご自身の体の異変を生薬によって試しながら治したことです。
その後薬草の根っ子を詳細に描く仕事を数年前から手がけ、
シーボルト美術館に招かれるほどになられた。
体中に生薬がかけめぐっておられるのではないかと思う。
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アートだアートだなんてさわいでいるわたしは、筋金入りのおバカだっちゅーことがおわかりいただけただろうか!?
生活そのものなんですよね、現代アートって。
そこにもここにもある。
身近すぎてみえないところにあるんですね。
どこにでもある空想的産物をリアルにつくっちゃうのがアートなんだよね。
きのう書いた「老婆の森のお話」なんですが、
姪の反応はといいますとですね
姪①(8歳)「ミユキおばちゃん、まぁがんばりなよ。」と哀れむようなまなざしでニコヤカに立ち去った。
姪②(7歳)「・・・・・。」って去っていくみちすがらへをこいた。
残るは甥だ。甥(4歳)に、わずかな望みをかけよう・・・
「オイ、甥!はやくおおきくなれ!」ひとのケツに指つっこんで喜んでるのも今だけだよね、、、。
現代のアートと過去にアートと言われていたものとは
もうはっきりと違うものだといえる。
アートは太古の昔から変わらない普遍的な心。
うまいだのへただの経験だのスタイルだの権威だの
そんなものクソくらえだ
tag :
フラメンコのダンサーが踊る
レモンの木にレモンの花が咲き実がなった。
君が去ったあとのレモン
君が去って行ったあとに
ボクはレモンの木をみている。
ダンサーは踊る。
そして人々は賞賛する
ティ・エ・ネ・アルテ!
その心がアルテ
アルテはアート
中身は同じ。
旅の途中の若者がいた。
旅で出会った人々が誕生日を祝った。
君の心にプレゼントをあげよう
わたしたちの気持ちをわけてあげよう
あふれる心のいくらかでも
うけとってもらえるなら
そして彼はワインをあける
うけとったよ
ありがとう
ありがとう
わたしの国は今戦争中なんだよ
ありがとう
ありがとう
悲しみも喜びも
そのこころにうけとって
それがアルテ
それこそがアート
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さっきそーいえばわたしお金あるんだろうか?
もしかして底をついているんじゃないかしらと思ってコンビ二に行ってATMで確認したらね、
まだ少し残っていて「ああ、よかった。」って無い胸をなでおろしたんだけどさ。
あまりの抵抗の無さに、ちょっとまてよっておもちゃってさ。
あることはあっても次の仕事のお金がはいるのは7月なんですよね、思い出してみるとまだ2ヶ月もあるってことに気付いてしまって、ああああ、これからどのように暮らそうかって急に不安になったんですよ。
こんな生活していてダイジョウブなんだろうか、こんなことしていていいのか!?などと普段何にも考えていないくせにぼーっと歩いていたら思いっきり水溜りにはまってずぶずぶになりながら帰ってきました。
さっきまでは、せっかくの晴れ間だし散歩がてらにコンビニ行って残高確認してから多摩川べりでも歩いて・・・なんてルンルンだったのに、今すごーく落ち込んでいます。スーパーリアルに暗くなってます。
そーいえばこの間だれかの個展に行ったらいきなり「ミユキちゃん!オレ、こんなことしていていいんだろーか!?」って深刻な顔で訴えてきた友に何もいえなかった自分を省みているところ。
ああ、あのときなんてて言ってあげればよかったんだろう。
今の自分に何か言ってくれる人がいたらなんて言ってほしいだろうかって。
まあ、考えてみてもしかたないし、洗濯でもしようって立ち直りかけたら、目の前にど~んと立っている機織り機におでこをぶつけた。
が~~~~ん
それでまた変なこと思い出して、、、
デザイン会社で働いていたころ昼休み食事して帰ってくるとき、やっぱり今日みたいに考え事しながらあるいていたんです。
そしたら目の前が急に暗くなってが~~~んって頭に激痛が走って、
それでもくらくらしながら歩いていたらお昼どきだから人がけっこういて、OLっぽい人がクスクス笑いながらすれちがうんですよ。
ひとり、もうひとりってみんなクスクス笑ってるの。
仕事場に帰ったら同僚がびっくりして「ミユキちゃんどーしたの?!」っつってみんなでわたしのことかついで病院に連れて行かれて頭を5針ほど縫ったんだけど。
あとで聞いたら、頭から血を流して強盗にでも襲われたみたいにすごいことになっていたんだって。
なんでクスクス笑われたんだろう!?
そーゆー時笑うのかなOLさんって!!!
3・4人すれちがったんですよ、それでみんな一様にわたしのこと見てクスクス笑ってたんですよ。
TシャツとGパンのプーみたいな身なりの女が頭から血ィ流してあるいてんのがそんなにおかしい?
世間はつめたいんだなってその時思ったの。
すごく大変な時って世間はつめたい。
それならそれで仕方ない。
他人がつめたくったってしかたがないさ。
今日からできるだけお金使わないようにしよう。
今日は1食でがまんだ。
うんダイジョウブ、なんとかなる。
そう言ってあげればよかったな
なんとかなるさダイジョウブって。
今のままでいいんだよって。
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だいたい午後4時ぐらいになると、一休みしたくなるっていうか、労働意欲がうすれてくるんですよね。
ブログ書くならこの時間がいいかも・・・なんて思ってる今日この頃です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
昨日はめっちゃくちゃ貧乏クサイはなしをしましたが、クサイんじゃなくて本当に貧乏なんですがね。
わたしはちょくちょくケガをするんですけど、ほとんど自力で治すんですよ。
昨日のはなしみたいに強制的に担ぎ込まれる場合はぬきにするとなんですが。
病院にはめったにお世話になったことがないですね。
卵巣脳腫を切り取ったのも何かの検査でみつかって強制的に取らないとたいへんなことになるからっていわれて仕方なく取ったんですが。
術後すぐにスペイン旅行に出かけて、そのアトは病院に行っていません。
病院きらいって言うわけじゃなくて行かなくてもダイジョウブなんだけどなって話なんです。
今までの経験から考えて、そーとーなことがないかぎりやっぱり行かなくてもダイジョウブですね。
仕事でけっこう道具を使いますから手足にケガしますが自然に治ります。
以前友人と3泊4日の予定でスキーに行ったときのことなんだけど。
4日間の最初の日は運悪く吹雪きでしたが、すぐにすべりたくてリフトで頂上まで行っておりてきたんですよ。
目の前が見えないくらいの吹雪でしたからゲレンデの状態がわからなかったんですね、コースの中盤ぐらいのところで、スピード最高ヒャッホォっておもった瞬間フワっと宙に浮いて次には堅いアイスバーンに頭から落ちて気付いたら目の周りに☆がまわっていました。
しばらくそこにいて、やすんでからホテルに戻って着替えているとき異変に気付きました。
首が動かないんです!!!
やっちゃったよう、まだ初日なのにケガかよ~って・・・
次の日から首にタオルを巻いてバンダナでしばってすべりました。^^
頭が重いし首回らないし熱あるけどすべるのがおもしろくてさんざん遊んで、夜寝るとき苦しいのを3回繰り返してスキー旅行を終えました。
その後ずっと頭が痛くて思うように首が曲げられないまま暮らしていたんです。
そんなこんなの時に山手線に乗ったんです。っていうか山手線で通勤してましたから当時。
朝の通勤ラッシュは過ぎていて普通に混んでいる程度だったんですよ。
いきなり何の予告もなく電車が急停車したんです。
わたしはつり革をにぎって進行方向を向いていたんですよねなぜか。
ほとんどの人は倒れてしまったんですが、つり革を握っていた人は数人いて無事だったんです。
その、急停車の最中にわたしの首がコキンって言ったんです。
これホントです。
その後、わたしの首は正常にもどりました。
そのハナシをするとみんなウソばっかりっていう顔をしますが、本当のハナシなんです。
そういうのが山ほどあるんです、わたしたち父子は。
実は父もおんなじで病院に行かない人なんです。
そのハナシは後日また。
わたしはこれから近所の飲み屋にドイツ産のアスパラガスを食しに行ってきます。
ビンボウなのになあ・・・
なぜかぜいたくさせてもらう運命なんですかね~♪
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ドイツ産ホワイトアスパラっていうエサににつられて
近所の酒場に行ってまいりました。
ばくっといただいてとっとと帰ろうと画策しておったのですが、そうもいかず帰ったのは夜中の1時すぎ。
アスパラはたいして期待はしていませんでしたが、予想通りなお味でございました。
缶詰と同じ味。
今は田舎では山菜の季節なので、アスパラのウンチクを馬耳東風で聞き流しながら懐かしい山ウドやコシアブラ、のことやもうすぐタケノコ取りがはじまるなとか心はふるさとの山に飛んでおりました。
で、なにを思ったか店主がウナギのハナシをはじめまして、わたしの隣に座ったお方が「ウナギといえばホンダのウナギでしょう。」っていいまして。
ホンダのウナギってあのホンダ?ってビックリしちゃったんだけど。
その見ず知らずのBさん(ホワイトアスパラをわざわざドイツから運んできた人はAさん^^)が「数々ウナギを食してきたが○○○○のホンダさんのウナギが最高なんです。」っていうではありませんか。
○○○○はわたしが生まれ育った町。
そんなんで盛り上がってハナシがはずみ、高い酒をごちそうになり、その上Bさんの初恋の話にまで付き合わされるハメになりました。
なんでもその初恋の女性は芸術家になりたい人で美大をめざしてがんばっていたそうなんです。それでBさんもハナシをあわせるために必死でアートの勉強をしたんだそうです。ホントによくご存知でいらっしゃる。
都内のすべての美術館に足を運び図書館で美術の本をあさり、美大生顔負けなくらい入れ込んだそうです。
そこで現代アートという言葉がでてしまいましてですね、あっという間にできあがってしまいまして、構想があるんだけど仕事場がせまいなんてことを言ったら、空いている工場を貸してあげようってハナシになったと思うんですよ。そんな気がする。
わたしが酔っ払って聞き間違えたのかなあ。
まあいいや、明日行ってきいてみよう。